はとバスの昔とは?歴史と創業者について
街の中を走る黄色な大きな観光バスといえば「はとバス」です。
東京観光はもちろん、日帰りバスツアーなども企画しており、
気軽に参加できるお得な価格帯でも人気があります。
そもそもはとバスの歴史について知らない人も多いのではないでしょうか。
はとバスの創業からの歩みや創業者について、紹介していきたいと思います。
はとバスの歴史
はとバスは2018年に創業70周年を迎え、現在もたくさんの
観光客を乗せるバスとして活躍しています。1948年8月に
「新日本観光株式会社」として設立され東京の上野に本社がありました。
1949年には女性のバスガイドを募集したことでも話題になります。
はとバスは戦後まもない時期に創業し、その当時から
東京観光の発展に貢献したことでも知られています。
創業したばかりの頃、「新しい、快適な観光」をテーマに創業し、
高度成長期にかけて大きく成長していきます。
その後、日本人の所得が増えたことで観光業が栄えていきます。
当時のはとバスにはシンボルマークとして、
図案化した「鳩」を描いたものがつかわれていました。
鳩には平和・安全などの象徴としても知られています。
また伝書鳩は、一度飛び立つと目的の場所に行き、
さらに出発した場所に戻ってくる習性も鳩が選ばれた理由です。
その後、新しいシンボルマークになるも、
もともとの鳩のマークが定着し現在でもはとバスとして
親しまれるまでになります。
はとバスの色は、バスの車体が大きく見えることや
曇や雨の日でも遠くからバスをすぐに見つけられることなどの理由で
決められたと言われています。
ビルがたくさん建ち並ぶ東京でもはとバスのデザインは目立ちますし、
明るい気持ちにしてくれます。はとバスの種類によっての違いもありますが、
黄色=はとバスをイメージする人も多いと思います。
はとバスの創業者とは
はとバスの現在の代表取締役社長は「塩見 清仁」さんです。
2020年9月に前社長が退任し、就任したばかりの新しい社長です。
はとバスの創業者は、新日本観光設立の立役者でもある「山本龍男」さんです。
もともとは東京地下鉄道出身になり、東京の交通局に
勤務経験を持っていました。その人脈や知識をフルで活用し資金を集めたり、
免許の申請や車体の払い下げなどの手続きを行いました。
山本さんは、日本を観光で復興させると夢を見て、
戦争のない生活があってこそ、観光業が成立すると考えるようになりました。
この一途な熱い想いがあったからこそ、はとバスがここまで
成長したといっても過言ではありません。
今までのバスの形から、定期観光バスとして新しいスタイルの
バスを生み出していきました。
当初は燃料不足などの問題もあり上野出発のコースしか
展開していなかったものの、順調に客足を伸ばしていきます。
午前中や午後の半日コースでスタートした定期観光バスは、
3ヶ月後には東京駅発や、新宿発などのコース便も増えるようになります。
当時、東京観光といえばはとバスともいわれるぐらいに、
認知度が高まっていきました。山本さんはより起爆剤となるのが
「季節限定」のコースと考え、夏季限定の「納涼コース」を思いつきます。
その後、「初詣コース」なども考え、今でも人気のコースとして続いています。その後「ナイトツアー」なども生まれ、
はとバスはどんどん進化していきました。
まとめ
今では観光になくてはならない存在のはとバスも、
戦後の限られた資源や情報しかない時代に、創業者の
山本龍男さんが必死に基板を作り観光の楽しさを伝えてきたからこそ、
今があるとも言えますね。はとバスの創業者の信念は
今でもしっかりと受け継がれていますし、
時代に合わせたコースも次々に発表されています。
はとバスを語るうえで創業者なくして語れません。